サマルトリアへの道

サマルトリアの王子のように生きていく。

有り難きこと。(駄文注意)

2014年が過ぎようとしている。

不惑を過ぎ、今年はJラップのミュージシャン並に各方面への感謝の念を禁じ得ない一年だった。

 

さしたる人生ではない。

面白おかしい訳でも、劇的でもない。

熱血でも鉄血でも冷血でも吸血鬼でもない。吹けば飛ぶような、ただの底辺のおっさんの塵芥の人生だ。

 

然し乍ら、しみじみと。我が身の幸運に感謝せずには居られない。

 

Ozzy-ZOWは、底辺生まれの底辺育ちである。

住所不定・職業不詳の父と、ごく普通の田舎娘の母との間に生まれ、定住生活可能となった後も、月の半分は電気なりガスなり水道なりなにがしかが止まるという、半サバイバル状態の生活がOzzy-ZOWが高校を卒業するあたりまで続いた。

 生まれも育ちも底辺だったOzzy-ZOWにとって、現在の自分に与えられた職業・属性・立ち位置は、時に「身に余る」とすら感じるレベルである。

 

唐突だが、Ozzy-ZOWは高卒である。

正確には大学中退だが、2ヶ月しか籍を置かなかったので、大学生としての経験は、ほぼほぼない。

また、Ozzy-ZOWの母校である高校(学校統廃合で廃校となったが)は、短ラン+ボンタンや長ラン+ドカンのビー・バップ・ピープルが跋扈するヒャッハー系高校だった。更に其処へ、バブルの最後っ屁の渋カジ・チーマー系の革ジャン・ベルボトム・エンジニアブーツの一派とダンス&ラップ系の渋谷系(音楽的な意味で)、女子はソバージュにボディコン、教室なのに、女教師でもないのにハイヒール、シャネルのNo.5にバッグもシャネルと、現代なら水商売のおねいさんにしか見えない一派と、やはりヤンキー系の、別な意味で一派。ごくごく一部の地味系と、カオスな様相であった。

 

・生徒会長がタバコ停学3回で退学になり、年2回生徒会長が変わる

・トイレの大のドアが全部壊れているので、ウ◯コしたい時は職員室横

 のトイレに行くしかない。

・トイレからタバコと有機溶剤とそれ以外の何かの薬物っぽい臭いがする

 

...といった具合に、その底辺ぶりには定評のある公立高校がOzzy-ZOWの母校である。

 

そんな、実に残念な高校が最終学歴であるOzzy-ZOWが、曲がりなりにも正社員ホワイトカラー職として、世界のギーク・ナード・OTAKUが憧れる秋葉原で働いている。

職場の人間関係も、顧客の質も、商売自体も良好だ。

 

二次ヲタなのに、そんな自分を必要とし、愛してくれる人と出会うことが出来、妻帯という贅沢を享受している。

 

友人・知人・家族に恵まれ、何かと助けて貰えたり、気にかけて貰えている。

 

「いいのだろうか?」

 

と、時に不安になる。

自分は、恵まれ過ぎてはいまいか、と。

勿論、Ozzy-ZOW以上に恵まれた境遇の者など数多存在することは認識しており、Ozzy-ZOWの捕捉できる範囲にもそういった1%側の者が存在する。

そして本来Ozzy-ZOWは、99%の側の人間なのだ。

 

もっと評価されるべき誰か

もっと愛されるべき誰か

もっとラクな生き方をしていいはずの誰か

 

そんな誰かが、本来享受すべき筈の果実が、Ozzy-ZOWの人生に誤配されているのではないか。何時か、本来の受取人から「返せ」と迫られる日が来るのではないか、と怯える気持ちが、常にある。

 

Ozzy-ZOWの僥倖は、善き両親の元に生まれ落ちたことが端緒である。

これは、間違いのないことだ。

先述したように、Ozzy-ZOWの父は一般的な「父親」規範から考えれば、全くとんでもない男であった。

とにかく、一度としてまともに家に金を入れたことがなかった。

金が入れば酒を呑み、周りに振る舞って回る。

結果、Ozzy-ZOW 家は借金に塗れ、それは父が糖尿で倒れた後に発覚した。

 

これだけを見れば、酷い父親だ。

が、親父殿は非常に子煩悩な男だった。

特に食に関しては、ガスストーブをつけっぱなしでも換気の必要がない程の隙間だらけの風呂なしボロアパートに住まいながらも、決して妥協がなかった。

一口しかないガスコンロで、殻付きの海老を砕き、スープ(今思えばビスクのようなものであった)を作ってくれたり、ガスが止まって煮炊きができない中、ホットプレートで松阪牛のすき焼きを食べた事もあった。

一般的な感覚であれば、順番が真逆であろう。

食以外の部分でも、とにかく「実地の経験」を重んじた。

高校1年の三者面談のその足で、花月園の競輪場に連れて行かれたこともあった。(学ランの下にGパンとTシャツを仕込んでいた)

金以外の様々なギフトを、親父殿はOzzy-ZOWに与えてくれた。

過剰に空気を読み過ぎ、こじんまりと纏まりがちな息子を、その破茶滅茶な生き様を見せることで、

 

「もっと自由に生きていいのだ」

「生き方に、正解などないのだ」

 

と教えてくれたのだ。

 

Ozzy-ZOWの母もまた、上記のような生活環境の中、息子の教育に金を惜しまぬ人だった。

「惜しまぬ」といっても、そこは貧乏人のそれであるので、惜しみなくジャバジャバとつぎ込むレベルの話ではないが、限られた金銭リソースを、居住環境のアップデートに費やすのではなく、人間そのもののアップデートに回した人だ。

上記のような生活の中、Ozzy-ZOWはギター教室と英会話に通っていた。

特に英会話は小4〜高1までの長期に渡り、そこに集う他の生徒たちは、今思えば富裕層に属する子女達で、貧乏人はOzzy-ZOW一人であった。

 

英会話もギターも、中学〜20代前半までのOzzy-ZOWのプライドの拠り所となってくれた。

ギターが若干弾けることと、ネイティブとも日常会話程度の英語が話せることは、強者から見れば蟷螂の斧レベルであったにせよ、当人にとってはエクスカリバーであり、グングニルであった。

残念ながら、現在はどちらも錆びついてしまったが、英語に関しては、2週間程英語漬けの生活をすればカンが戻る自信はある。

だが、母がこの2つの習い事を通してOzzy-ZOWに贈ってくれたギフトは、スキルそのものではなく

 

「私はお金はないが豊かだ」

という謎の視点だった。

 

父の自由さと、母による豊かなギフトのお陰で、あんな生活をしながらOzzy-ZOWは一切自らを「貧しい」とおもった事がなかった。

思春期以降、自意識と童貞を拗らせ、自らを不当に卑下したことはあったが、「貧乏」故に可能性が狭められていると考えたことは、一度もなかった。

金銭的には貧しいのに、貧しさを感じることがなかった。

このことは、Ozzy-ZOWの人生に大きな大きな影響を与えた。

 

Ozzy-ZOWが現在の生活を享受できている理由は、案外この両親のギフトによるのではないかと、最近考えるようになった。

 

長くなったので、その件については後日、気が向いたらという事で。