サマルトリアへの道

サマルトリアの王子のように生きていく。

今更「承認欲求」のこと。〜マダム・イン・ニューヨーク感想〜

久々にカレンダー通り休める三連休初日、以前から気になっていた「マダム・イン・ニューヨーク」を銀座に見に行ってきた。

結論から言うと、実に良い作品だった。

不惑を過ぎ、涙腺が年々緩みっぱなしである為、映像作品を見ての落涙は結構頻繁ではあるのだが、こんなに爽やかな涙を流したのは、久しぶりだ。

 

ズバリ言う。

マダム・イン・ニューヨーク」のテーマは「承認欲求」である。

 

ヒロインのシャシは「英語が喋れない」ことにより、夫のみならず子供にまでバカにされる有様だ。

お菓子作りの腕はプロレベルだが、彼女自身への家族の評価はどこまでも低い。

 

女性の地位が相対的に低くなりがちなヒンドゥーの社会ではあるが、シャシは虐げられていたり奴隷的に家族に尽くすことを強要されている訳ではなく、裕福な家の主婦として、金銭的な苦労はなく、一応は人間的に扱われ、基本的な人間の尊厳が損なわれるレベルのモラル・ハラスメントが家庭内にある訳でもない。

 

だが...

いや、だからこそ、彼女が家族から放たれる、何の気無しの言葉に心を疼かせる姿に強い共感を覚えるのだ。

 

生命や飢えの危機がある訳ではない、経済的な不安もない。

しかし、一人の人間として正当に認識されていない。自分という現象が正しく観測されていない事が、ボディーブローのようにじわりじわりと、心に重い痛みを蓄積させていく。

 

・私が私である事を受け入れて欲しい

・私が私の持てる能力と才覚と技術で行ったことを賞賛して欲しい。

・私という現象を発見して(更に、できれば好きになって)欲しい。

 

「承認欲求」とは、大きく分けてこの3つに分けられるものと考える。

それらは仮に認められ、観測されたとしても、自分にとって不本意な形であったとしたら、全く意味を為さない。

故に上記3つの承認欲求の形には、

 

「私自身が望む形で」

「私自身が望む箇所、或いは思ってもみなかったが、見つけて貰えると嬉しい箇所を」

 

という補足がつくのだ。

シャシの夫が彼女の菓子作りの技術を褒めるシーンがあるが、望む箇所は「そこじゃない」し、「そんな言い方」は望んでいないのだ。

そして、そんな心の機微を、シャシ役のシュリデヴィが丁寧に演じている。

また夫にしても子供にしても、言い方がもうホントに一々カチンとくるのだ。

本作はボリウッドムービーだけれど、こういう感情は万国共通なのかもしれない。

自分が「低く評価される」「不本意な扱いを受ける」時の、実にモヤモヤとした居心地の悪い空気が、実に丁寧に描写されている。

 

それが故、それらがしっかり回収されるエンディングの爽やかさはひとしおだ。

深く言及するとネタバレになってしまうので、詳細は是非じぶんの目でご覧頂きたい。