サマルトリアへの道

サマルトリアの王子のように生きていく。

『親権』は子供を幸せにするの?

どうしてもやるせなくて仕方ないので書く。

これはただの排泄行為だ。故に、読みたくない方は直ちに回れ右されることを推奨する。

 

今朝、通勤電車で乗り込んできた母親&子3人の母親が酷すぎて気分が悪くなった。

機嫌という意味でなく、文字通り具合が悪くなるという意味で。

その母親は、長男にばかり集中砲火のように罵詈雑言を浴びせていた。

その子の一挙手一投足に対し、よくもそこまでバリエーションをつけた罵り方を、せいぜい3歳位の小さな子供に浴びせられるものだ……

 

その子は母親の吐く言葉に、泣くでもなく怒るでもなく、ただただ黙っていた。

怯えすら超越した諦観が、つぶらな瞳には浮かんでいた。

その子の鈍い反応に、母親の罵りはどんどんエスカレートしていく。

こんな小さな子が、心を鈍磨させることで自分を守らねばならないなんて……

 

席が空いたのに座らなかったから取られた→お前は「どんくさい」。

食い物を私の服につけるな→「バカ!」。

 

そんな小さな子に、大人の……いや、アンタの都合を押し付けるなよ。

 

おたくにとってそれは「しつけ」なのかな?

でもね、毎日毎日、そんな言葉ばかり浴びせられたらね、その子、自分を愛せなくなってしまうよ。

自己肯定感が低い人間は、自分が幸せになれないばかりか周囲も巻き込んで不幸を撒き散らすようになる事もある。

親ってぇのは大変だ。人を育てるんだから、大変に決まってる。

僕は「親」にはなれなかった。

望んだけど叶わなかった。

僕には子育ての経験はない。だから、子育ての大変さは想像しかできない。

他所様の子育てにとやかく言える立場にはないのかもしれない。

 

だけど、「人がどう感じるか」はわかる。

溺れるほどの自分を否定する言葉に日常的に晒されて、人は正気でいられるものではない。ほんの10分程、自分に向けられたのでない悪意でさえ、僕は心の調子を崩しかけた。

あの子の痛みは、どれほどのものだろう……

 

この国は親権が強い。とても強い。

死ぬ一歩手前の虐待が行われて施設に入所したとしても、反省したと見做されれば親のもとに戻されてしまう。

里親になるのがこれほど難しい国も、他にないのではないだろうか。

どんな親でもいないよりマシ、という人もいる。

本当にそうか?

「家族」になる方法が、親に恵まれるか自分で産むかしかないというのはどうなんだろう?

血縁が無意味とは言わない。けれど、必要以上に血縁が重視されすぎじゃないか?

 

介入すべきタイミングで児相が介入→里親とのマッチングという方法が、あってもいいのではないか?

「親権」という親の権利は大切かもしれないが、一番大切なのは、子供が当たり前に幸せに、心も体もちゃんと庇護されて生活できることじゃないのか?

 

ああ…….gdgdとくだらなくて申し訳ない……今日はもうやめます。

 

買う?借りる?

OzzyZOWの私見だが、モノを所有するということに過剰な労力や金を注ぎ込む時代は終わったと思う。


所有がダサいとか借りるのが良いとかの話でなく、自分のライフスタイルやその時々の経済状態、ランニングコスト等を検討した上で、「買った方が安く上がる」とか、「所有することでベネフィットがある」と判断されるなら、買ってもいいと思う。
 
 
要は「買う・所有する」ことが最上の価値をもつものでなく、選択肢の一つに価値が落ちたように個人的に感じる。
 
先月、車を買った。
前の愛車の車検が迫っており、結婚を控えて、もう少し人も荷物も載る車が必要になりそうなタイミングだった。
18年落ちのこの車の車検を12〜13万かけて通すか、新しい車(中古車)にするかで悩んだが、結局購入した。
車はリースやレンタカー、カーシェアリングという手もあるが、長期・長時間の利用が度々あるのでカーシェアリングやレンタカーでは足りず、同じ車格のものをリースの場合、今回購入した中古車の約4倍の金額が月々発生する。
税金や車検費用を考えても明らかに割高なので、OzzyZOWにとっては買ってしまうのが一番コストがかからない方法だった。
ただ、買ったといっても法的にはまだこの車はOzzyZOWのものではない。
5年に亘るローンが残っており、これを払い終えるまでは、車検証の所有者の欄はローン会社である。
しかし所有者がローン会社になってはいても、OzzyZOWはこの車を自由に使えるし、カスタマイズもできる。
ローンが支払えなくなれば差し押さえられるが、法的に所有していなくとも、所有しているのと変わりない。
 
 
これは、拡大解釈できる。
例えば家だってそうなのだ。
昨今は人口減により入居が決まりにくく、賃貸物件でも借主がリフォームできる自由度が高まりつつあるし、そもそもこの国の不動産は、借主が強く保護されるものである為、追い出されるということはまずない。
勿論壁をブチ抜いて2DKを1LDKにするとかは無理だろうが、かなりの自由度を付与されているなら、ローンを払うか家賃を払うかの違いでしかない。
賃貸は更新料があるとか家賃が上がるという声もあろうが、所有していても固定資産税はあるし、ローンが固定金利でなければ金利上昇による負担増もある。
そう考えると、所有とレンタルにあまり違いはないようにOzzyZOWには見える。
 
そもそもOzzyZOWは、何かを「所有」するということに、あまり強い興味をもてない。
…というより、沢山のモノが自分の生活の中に溢れかえっていることが、とても鬱陶しく目障りに感じることがある。
 
正直、MacBookiPhone以外のものは一切自室に置きたくないし、食器も服も、本当にクリティカルなものを必要最低限持ち、ロスなく使っていければ理想。
車も、便利だし楽しいから今は持っているが、経済的に維持するのが無理と判断したら、あるいは気が変わったら未練なく手放すつもりである。
 
本当に「必要」で、「持っている必要がある」ものなんで、削ぎ落としていけば、僅かしか残らないはず。
生活に無駄な贅肉を付けすぎてしまうと、どんどん身動きが取れなくなっていくように思えてならない。
 
世界は、どんどん「シェア」の方向に向かっていると思う。
 
モノもヒトもカネも、この国には有り余っている。
 
 
足りないのは再分配の適切な方法。
失われたのはコミュニケーションを媒介とした相互扶助だ。
 
再分配を政府が行わない以上、その最適化は個々人が、個々人の在り方に合わせて行うしかない。
それには、他者とのコミュニケーションが必須なのだ。
コミュニケーションとは、会話や交渉だけではない。
自分を如何に見つけてもらうか、認知して貰うか、受け入れてもらうか。
或いは、如何に面白がってもらえるかという要素も含んでいいかもしれない。
 
まずは手を挙げ、見つけてもらう。自分を認識してもらう。
そこがスタートだ。
 
そして、様々なものをシェアしていくのだ。
それは、例えば無形のサービスかもしれないし、相手が贈ってくれたモノが、その先のストーリーを紡いでいくことかもしれないし、単純に「面白い奴だから応援したい」と思ってもらうことかもしれない。
受け取るものは、物質的なモノかもしれないし、食物かもしれないし有意義な時間かもしれない。
 
重ねて言う。
モノもヒトもカネも、現代は有り余っている。
 
この国の人々は、「体験」にお金を支払う余裕ができているし、もうそのフェイズに移行している。